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キリシタンのあしあとを求めて各地を旅してめぐります♪

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大蓮寺

                             石川県:キリシタン関連史跡

内藤如庵の子孫の墓


キリシタンだった内藤如庵の子孫の墓がある寺院。
墓域の一角にコンクリートで固められた地面に4基の墓が並べられています。大蓮寺は元々ここではなく、道の反対側の山の方にありました。寺の移転に伴って、墓も移され、墓碑だけが残されています。



内藤一族の墓


内藤如庵は丹波の八木城主で、16歳の時フロイスから受洗しました。小西行長に仕えましたが、行長が敗戦し処刑されると、浪人となりました。

内藤如庵は、高山右近の誘いを受けて1603年に金沢に来て、加賀藩でキリシタンは栄えましたが、1614年禁教令のあおりを受けて、右近と共にマニラに追放されることとなりました。

内藤如庵はマニラで10年ほど生きて死去。その後一緒に渡った家族たちの一部が、棄教したと言って日本に戻り、加賀藩の萩谷に村預けという形で暮らすようになりました(『志雄町史』)。その後代々子孫たちが暮らし、旦那寺であった大蓮寺に墓が残されました。

キリシタン類族として大蓮寺の過去帳にも記されているので、こちらが内藤如庵の子孫の墓であることは間違いないものとみられます。内藤家は1864年に子孫が絶え、断絶したと加賀藩では幕府に報告しています(前田育徳会編『加賀藩史料』)が、実際には内藤を名乗る子孫が残っています(木越邦子『キリシタンの記憶』)。




大蓮寺

大蓮寺

解説文

大蓮寺跡

内藤一族の墓

墓碑

墓碑

背面


 
 現地への行き方
住所は羽咋郡宝達志水町敷波ト-90です。



この地図は大体の位置を示すものなので、訪問の際は現地の案内や地図で所在地を確認してください。

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