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高山右近の碑

                             石川県:キリシタン関連史跡

高山右近の墓?


高山右近と共にマニラに追放された孫の一人が、日本に戻り、右近の指の骨を埋めて作ったとされる墓。
真偽不明な点があり、「右近の墓」と断定されている訳ではありません。



高山右近の碑


徳川幕府のキリスト教禁令により、高山右近の一家(ジュリア夫人、娘のルチア、長男ジョアンの孫5人)は国外追放され、右近はマニラで没しましたが、ほとぼりが冷めた頃に子孫は日本に戻ったと言われています。

この石組は、右近の孫の一人がマニラから日本に戻った際に持ち帰った、右近の指の骨を埋めて墓としたものと伝えられています。

しかし「小指の骨と馬の像一個」が発掘されたと書いた本(カステラン神父著『高山右近』)があるにも関わらず、発掘に立ち会ったと書かれている人物がそんな物を見ていないと発言し、関係資料も残っていません。また最近になって、カステラン神父が発掘したのはここではなく、高山家のあまり古くない墓だったことも分かりました。

これが右近の墓であるかどうか、まだ明らかになっていませんが、石組の前には「高山右近墓所」と彫った十字架の碑が据えられています。誰が建てたものであるか分かりませんが、右近の墓であると決めつけようとする意思が働いているものとみられ検討を要します。

案内標識には「右近の碑」と書かれ、高山右近に関係する石があることを知らせています。




案内標識

右近の碑

「高山右近墓所」?

背面


 
 現地への行き方
住所は羽咋郡志賀町末吉。高山右近記念公園の近くです。



この地図は大体の位置を示すものなので、訪問の際は現地の案内や地図で所在地を確認してください。

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