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キリシタンのあしあとを求めて各地を旅してめぐります♪

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七尾港

                             石川県浦上キリシタン上陸地

玄界灘を越えてやってきた信徒たち


明治政府の方針で全国20藩22ヶ所に流配が決まった約3400人の浦上キリシタンたち。そのうち最も遠い場所へと流された人々が上陸したのが七尾の港です。
浦上キリシタンたちはこの全国への流配を「旅」と呼んで忍びました。



七尾の港


七尾に上陸したのは、先に出発して大阪経由で北陸に向かった信徒の家族たち401名でした。

1870(明治2)年12月7日、加賀丸という船に乗せられて出航。玄界灘、日本海の荒波に苦しんだ後隠岐の島に着き、そこから大時化に苛まれて能登半島の七尾に着きました。

大雪のため天候回復を待ちましたが、降雪が一向にやまないため3日後に出発。子供や老人を担いで金沢を目指しました。

七尾の海


3日かけて金沢にたどり着き、湯坐屋と呼ばれる元温泉場に収容され、先発の戸主たちと再会しました。

その後富山、大聖寺(現在の加賀市を中心とした石川県南部地域)に流配が決まっている者たちは更に進んで各地に向いました。

富山に流配となった信徒たちは、長崎の浦上から最も遠い地域に流された人々でした。

七尾


先発後発を合わせて、流配された人数は金沢526名、富山42名、大聖寺44名で、金沢には全国で最も多い人数が流されました。

1874(明治6)年、キリシタン禁令の高札が撤去され、浦上キリシタンの釈放命令が出されましたが、北陸に流された人々のうち100人以上の人がすでに亡くなっていました。

彼らが七尾のどこに上陸したのかは、はっきりとわかっていません。


七尾港

七尾港

七尾港

七尾港



 現地への行き方
JR七尾駅から徒歩15~30分。沿岸部分のどこの地点が上陸地かわかっていません。



この地図は大体の位置を示すものなので、訪問の際は現地の案内や地図で所在地を確認してください。

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