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キリシタンのあしあとを求めて各地を旅してめぐります♪

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本行寺

                        石川県キリシタン関連史跡、キリシタン遺物

高山右近らキリシタンに関する遺物が数多く眠っている


本行寺(ほんぎょうじ)は能登半島の七尾にある古刹で、16ヶ寺(前田利家の時代には29ヶ寺)もの寺院が集まる「山の寺」の一つ。高山右近の領地内にあったこの寺には右近の修道所跡、高岡城の縄張りをしたという菊亭、右近ゆかりの品々が伝えられています。

また前田家秘仏とされるキリシタン仏、墓域にあるゼウスの塔など加賀藩におけるキリシタンの隆盛をうかがわせるものが多く残されています。



本行寺


前田利家の肝いりで整備された山の寺の中で、歴代住職は前田家から入山するなど本行寺は別格の扱いで、周囲の寺々から守られるようになっています。

本堂の廊下の床は外して土間にして、すぐに兵が走れるようにしてあり、天井には武者返しがあり、下に石が落とせるようになっています。

本堂の前


本堂前には格式高い寺院だけに許される赤戸室石(あかとむろいし)の石灯籠が2基建てられています。

本堂と別棟である菊亭は廊下でつながっていますが、曲者の侵入をふせぐために廊下はうぐいす張りになっています。

菊亭には右近が一時滞在しており、ここで金沢城の修築ための設計や高岡城の縄張りなど、機密を要する作業をしたのではないかといわれています。

本堂と境内


宇喜多秀家に嫁ぎ、関ヶ原の戦いで宇喜多家が没落した後は北政所に仕えた豪姫(前田利家の娘でキリシタン)も、金沢に帰国後一時この菊亭に滞在しました。

また右近が国外追放になった後、加賀藩の高級武士のキリシタン婦人たちが本行寺に送られ一代蟄居を命じられました。

津田玄蕃の海津夫人、長好連の夫人(利家の娘福姫)であった松寿院とその娘菊姫ら二十数名です。菊亭の名は、この菊姫からとられたものです。

右近の修道所跡


海津夫人ら一部の高級武士の夫人が菊亭に幽閉され、その他は下寺屋敷に収容されました。この下寺屋敷が右近の修道所だったと伝えられています。

右近は能登の知行地に二つの教会を建て、一つを弟太郎右衛門が、もう一つを家臣の一人が世話したという記録が残っており、ここがその一つだと考えられています。

ゼウスの塔


海津夫人は、細川、斯波とともに足利幕府の三管領であった畠山家俊の孫小百合姫で、幽閉後1642(寛永19)年に亡くなりました。

夫人の法名は全寿院で、境内の右手奥にある墓地には大きな宝筐印塔(ほうきょういんとう)が建てられています。

この塔には十字が刻まれており、前面の全寿をゼウス、裏面の妙安をマリアと読み、ゼウスの塔と呼ばれ、キリシタンの信仰を表したものだといわれています。

本行寺にはその他にも、菊姫の枕仏であったとされる前田家秘仏や教会と宣教師が描かれたキリシタン小紋、キリシタン石地蔵、木像、右近の長刀、前田利家の籠などが伝わっています。

利家が洗礼名オーギュスチンを持つキリシタンであったという伝承が残っているのもこの寺院です。


右近修道所跡

右近嘆きの道とされる階段

右近の井戸

境内の木碑

ゼウスの塔

十字の紋

灯籠

説明板


 現地への行き方
JR七尾駅から徒歩30分ほど。路線バスも通っていますが、便数が少ないのでタクシー等の利用がおすすめです。通常は立入禁止となっていますが、年一回の公開日や地域イベントでの特別拝観日があります。特別拝観日等でも要予約なのでご注意ください。住所は石川県七尾市小島町リ134です。



この地図は大体の位置を示すものなので、訪問の際は現地の案内や地図で所在地を確認してください。

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