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キリシタンのあしあとを求めて各地を旅してめぐります♪

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織屋跡

                              石川県浦上キリシタン牢獄跡

金沢配流の第一陣が収容された


加賀藩14代藩主前田慶寧が1867(慶応3)年に卯辰山を開拓したときにに建てた織物工場があった場所。1869(明治2)年の藩籍奉還により開拓は中止となり空き家となっていたところに、浦上キリシタンたちは収容されました。

現在は市民の目を楽しませる菖蒲園となっています。



織屋跡


1870(明治2)年12月4日、124名の男性グループ(主に戸主)が長崎の役場に呼び出され、大雪の中終日外に立たされて、夜9時になってようやく取り調べが終わりました。

その後着の身着のまま船に乗せられ向かった先は、金沢。瀬戸内海を経由していったため、彼らより4日後に出た家族のグループより遅く金沢に到着しました。

現在は菖蒲園


卯辰山に着いた123名(1人は途中で脱走)の男性が入れられたのが織屋と呼ばれる建物でした。

建物は二階建てで、老人は一階に、壮年の者は二階に収容されました。

仏僧の話を聞いても動じないので、特に信仰が強固な者を奥のトキエに移し、拷問を行い見せしめとするなど厳しい説得を行いました。金沢藩は全流配地の中で最も多くの死者を出しました。

周辺地図


湯坐屋を垣間見た外国人の投書によって諸外国に波紋が広がり、待遇が改善されてからは、わらじを編み、どじょうを捕って蒲焼にして売るなどができるようになりました。

彼らは数人ずつ片道一週間から十日の道程を歩いて大阪の天主堂に行き、ミサにあずかり、長時間祈って、神父と話をして帰ってきました。

1873(明治6)の春になってようやく帰還を許された浦上キリシタンは、感謝のうれし涙を流しながら長崎を目指しました。


織屋の

周辺地図

菖蒲園にある碑

菖蒲園の隣の神社


 現地への行き方
路線バスで「菖蒲園」下車、すぐ。



この地図は大体の位置を示すものなので、訪問の際は現地の案内や地図で所在地を確認してください。

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