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キリシタンのあしあとを求めて各地を旅してめぐります♪

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卯辰山養生所跡

                              石川県浦上キリシタン牢獄跡

大聖寺に流された浦上キリシタン


大聖寺藩(現在の加賀市)に流された浦上キリシタンが、1872(明治5)年になって移されて収容された場所。もともとは加賀藩の病院でしたが、移転して当時は空き家になっていました。

現在は民家の入口にあたる場所に説明板があるのみで、往時の建物などは何も残っていません。



卯辰山養生所跡


大聖寺に配流となった浦上村のキリシタン83名は、瀬戸内海を経由して1870(明治3)年1月に到着しましたが、その後33名が富山への移動が命じられました。

2月の厳冬期、積雪に埋もれた倶利伽羅峠を、のこぎりで氷を切り開きながら越え、富山に到着すると、信徒たちは首に鉄輪をはめられました。

大聖寺には婦女子と幼児ばかり50人が残され、そのうち5名が死亡、残る45名は11歳以下の子供を除き、それぞれ1名ずつ諸寺に分囚されました。

養生所跡の説明板


1872(明治5)年、外国の非難を受けた政府はキリシタンたちの待遇を改善し、大聖寺にいた信徒を金沢の卯辰山にあった養生所跡に移動させました。

金沢配流の信徒と合流し、大幅に自由になった信徒たちは、代表者を大阪の天主堂に送り、神父と連絡を取ることにしました。

雪の中大阪までの80里の道を、徒歩で一週間もかけてはるばるやってきた信徒の代表である三人の老人は、御子イエス様にと金三両を差し出しました。

松の木に隠れた説明板


「ほんのわずかですけども、私たち牢獄の者が女も子供もみんなして、夕方の暇な時間に藁草履を編んでためたものです」

降誕節にあたる頃のことでした。信徒の素朴な言葉に宣教師の胸は震えたと、伝記に記されています。


卯辰山養生所跡

説明板

民家の塀に説明板


 現地への行き方
路線バスで「菖蒲園」下車、徒歩5分。説明板は道沿いに設置されていますが、木が邪魔をして見つけにくいです。坂道を上ったところにある民家の門の辺りを探すようにして下さい。



この地図は大体の位置を示すものなので、訪問の際は現地の案内や地図で所在地を確認してください。

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