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西内惣構堀

                              石川県キリシタン関連史跡

高山右近の指図で掘られた内堀


西内惣構堀(にしうちそうがまえぼりは、高山右近が指図をし、1599(慶長4)年12月からわずか27日で完成したという東西合計で全長3キロに及ぶ内堀。西内惣構堀の起点は尾山神社の前で、現在はほとんどコンクリートで覆われているものの、一部を見ることができます。



西内惣構堀


謀反の疑いをかけられ徳川家康の脅威を感じた前田利長が、金沢城防衛のために高山右近に命じて造らせた内堀です。

西内惣構堀は尾山神社前を起点として、近江町、彦三、主計町を通り浅野川へと通じていました。

1873(明治6)年の尾山神社創建時に、大幅に埋められて水路となり、昭和20年代に暗渠化されました。

今も使われている西内惣構堀


平成に入り、金沢市の「まちなか用水開渠化」事業によって、コンクリートが取り去られ、今では当時の堀の一部を見ることができます。

ちなみに、惣構堀には内だけでなく外もあり、やはり東西に伸びて、ぐるりと金沢市内を囲んでいます。

外惣構堀は1610(慶長15)年に完成しており、こちらの指図をしたのは篠原一孝でした。全長は東西合わせて4.4キロにも及びます。

篠原一孝は、金沢城の石垣を築いた人物。防衛上の観点から、右近がそれを手直ししたことで2人の関係は一時悪化しました。

当時加賀藩家臣団は大きく分けて二つの派に分かれており、右近と篠原一孝は違う派に属していたと考えられています。2人はその後和解し、右近追放の時には友情へと変わっていました。派を超えた信頼と尊敬で結ばれていたことがうかがえます。内惣構堀と外惣構堀は、現在も雪捨場として市民の役に立っています。


西内惣構堀の説明板

西内惣構堀の説明板

説明板

説明板


 現地への行き方
JR金沢駅から路線バスで「南町」下車、徒歩3分。バス停「香林坊」からも徒歩10分ほど。尾山神社の参道の辺りにあります。



この地図は大体の位置を示すものなので、訪問の際は現地の案内や地図で所在地を確認してください。

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