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キリシタンのあしあとを求めて各地を旅してめぐります♪

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南蛮寺跡

                             石川県教会跡、キリシタン関連地

前田利長が建てさせた教会があった


1607(慶長12)年に建てられた切支丹寺(教会)があったとされる場所。教会は現在の兼六園下交差点の辺りにあったと推定されています。利長の妹 豪姫と浮田久閑という2人のキリシタンが金沢にやって来たので、彼らのために前田利長が新たに造らせた教会でした。


兼六園下交差点


利長の妹 豪姫は、宇喜多秀家の室となり、関ヶ原の戦いに敗れ秀家が没落した後には、北政所に右筆として仕えていました。

その後受洗し、マリアという霊名を持って金沢に戻ってきました。

それに伴い、同じくキリシタンであった浮田久閑(宇喜多氏の庶流は浮田氏を名乗る)も金沢に来て、知行千五百万石を受けました。ここにあった教会は彼らのために建てられたものでした。

紺屋坂


「紺屋坂」と刻まれた石碑には、「加賀藩初期に藩の御用染商館紺屋孫十郎が坂の付近に住んでいたのでこの名がついた」と書かれています。

元禄から宝暦の間(1688-1764年)のものと推定される古地図に、紺屋坂を下った場所と公事場の間に「切支丹寺跡」の文字が見られます。

今なお車通りの多い交差点


紺屋坂は兼六園と金沢城の間を通る坂道で、有力な商人が店を構える目抜き通りでもありました。

自らの妹で、豊臣秀吉の養女でもあった豪姫と家臣のためとはいえ、これほど目立つ場所に教会を建てさせた利長は相当なキリシタン贔屓であったことがうかがえます。


紺屋坂の碑

紺屋坂の碑

紺屋坂

交差点


 現地への行き方
JR金沢駅から路線バスで「兼六園下」下車。



この地図は大体の位置を示すものなので、訪問の際は現地の案内や地図で所在地を確認してください。

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